矢野口

矢野口 小字・小地名図

- ※名所旧跡で現存する寺社は記号で表示しています。
- 矢野口は稲城市消防団でも『第一分団』が配置されているように、旧稲城市域6ヶ村の中でも歴史と広さを兼ね備えた地域。そして鶴川街道、川崎街道が交差する市内きっての交通の要衝であります。
多摩川の水害に対しては国交省のスーパー堤防区画として対策がなされて来ましたが、時の民主党(現・立憲民主党)政権が諸方面に何の調整もせずに勝手に断行した「コンクリートから人へ」施策により、矢野口北部のスーパー堤防C工区のみが頓挫して残される形になってしまっていました。
私も防災人として市内多摩川沿岸に残された大きな課題としてとらえ、市議会あるいは各種委員会にてスーパー堤防C工区の改善並びに水害時対策施設の整備を要望し続けて参りました。施設整備は決定し、C工区の方々とは意見調整を重ね良い方向に動き出したことにホッとしております。
川から陸に目を移すと、市施行の矢野口駅周辺土地区画整理並びに榎戸地区土地区画整理事業は令和3年度末時点での建物移転棟数ベースでの進捗率が、榎戸地区は89.8%、
矢野口駅周辺地区が50.4%となっています。令和12年度までの整備面積ベースでは、榎戸地区はようやく100%、矢野口駅周辺地区は80%と未完成を予定。榎戸地区では歩道計画に大きな変更が出てしまったことなど、都市計画の事前設計をより緻密に行うべきであると改めて思い知らされました。
また、矢野口名物?でもあったよみうりランド坂のヘアピンカーブは多摩都市計画道路 3・4・12号読売ランド線のトンネル化と拡幅、多摩都市計画道路3・4・16号稲城南多摩線との開通に向けた盛り土工事により消滅。
ただ、冒頭に述べた通りで交通の要衝ゆえに交通量が激しく、事故も頻発してしまっていることも事実。よみうりランドのジュエルミネーション期やイベント時の道路混雑も、ジャイアンツタウン完成の暁には更なる悪化も懸念されます。
こうした状況を事前に回避すべく、交通網整理に力を入れており、本年度に予定される京王よみうりランド駅前広場の改良でも交通網に関して提言をしています。 - 上写真:三沢川清掃@矢野口に参加させていただいています。
下写真:穴澤天神社例大祭にて神輿を担いで(少し調子に乗って)いる様子。 - 鈴木誠の政治姿勢等はこちらをクリック↓

矢野口村

矢野口(やのくち)は、鎌倉時代に名族秩父氏の雄・稲毛三郎重成が所領『小沢郷』の中核だった地域で、現在も小沢峰などに古城跡が見受けられ、また歴史上も重要地点として多くの合戦の舞台となったことも記録されている、「城下町」といった土地柄である。江戸時代中期頃まで「谷野口」や「谷ノ口」、または小沢郷に通じて「古沢(こざわ)」と呼ばれていた。 「ヤノクチ」という地名は、その昔に人家八軒の谷村だったから八人口(やにんぐち)、転じて谷ノ口となったという伝説があるが、「ヤ(谷間、三角地)」+「クチ(入り口)」で、「谷の入り口」という意味とのこと。 上記由来が正しいとすると、大丸・長沼の頁でも触れているが、現在の三沢川が古多摩川の流路であり、その川に直面した谷(現在の根方谷戸)が旧来の本郷であったのではという推測ができる。また、古来よりの神社仏閣がこの根方地区に集中していることも、信憑性の裏付けになるだろう。 東側を神奈川県川崎市と接し、JR南武線・京王相模原線・鶴川街道・川崎街道が通り今も昔も交通の要衝であり、三沢川を境に北は平野、南は谷戸・丘陵という地勢。2020年現在も平野部・丘陵部ともに区画整理が進行中、『古くて新しい街』として発展を続けている。